何故ブログ更新を怠ったか

昨年12月から将棋をしていたんである。アプリの「将棋ウォーズ」の10分切れ負けだ。

無課金の私は一日三局しか指せない。三局だけならブログ書けるじゃないかって思慮の浅くガサツなひとは思うかもしれない。違うのだ。負けると本当に悔しいし、快勝すればその棋譜を何度も舐めるように見てしまう。そしてどんどん強くなる感覚に夢中になったのだ。

3局しか指せない。しかも3連敗などままある。ブログを書く気にならない。3連勝した。どの棋譜も精一杯愛でなければならない。ブログを書いてる暇がない。1勝2敗や2勝1敗のときは負けた理由を棋譜から探さねばならない。ブログは後回しだ。

今日からブログを再開したのは、自分の棋力が伸びなくなってきたからだ。この頃はどんどん強くなったいく感覚はなくなってきた。12月は3級、1月は2級、2月には1級に昇級したが、3,4,5、6月と未だ1級のまま。当然と言えば当然だ。将棋の勉強をほとんどいていないからだ。私のした勉強といえば、上野先生の「序盤完全ガイド相居飛車編」と米長の「楽しい詰将棋入門」しか読んでいない。初段に上がるには勉強が必要だと悟った。

というわけで今はそんなに将棋に夢中というわけではなくなってきたので、これからは将棋の勉強もしながらブログも書いていきます。

雑感

最近の日本の情勢では、消費税増税派、財政再建、早期の財政収支黒字化が必要だとする人や、デフレ状況でで良しとする人、経済成長はもうしないのだと言う人は白い目で見られるようになった。自民から民主への政権交代があった時には、消費税増税やむなし、財政は切り詰めて仕分けをして借金体質からの脱却を目指そうという人たちがいっぱいいたのにだ。私は大変喜ばしいことだと思う。

私は金融緩和、財政出動が必要だと考えている。消費税増税は論外。いわゆるアベノミクスの第一の矢と第二の矢が重要で、第三の矢である成長戦略は、やるんならデフレを解消して景気が良くなった後にすべきだという立場だ。

成長戦略とはあいまいで何をするのかわかりづらいが、ようするに構造改革である。安倍政権になってから行われたところでいうと農協改革とか。構造改革を推し進めるべきだとする人は、景気が悪いのには犯人がいて、そいつをぶっ壊せば効率が上がり景気が良くなると考えているらしい。でもそもそも景気が悪く需要のない状況で効率だけが上がっても人員削減で失業者が増え、また需要が不足しの繰り返しになるだけなんではないだろう。

家庭も企業もお金を使わないときに誰が無理やり需要を作るかといえば、もちろん政府を置いてほかにない。アベノミクスの初めの年は積極的な財政出動があったが、その後はどちらかというと緊縮気味だ。これからはバンバン政府にはお金を使っていただきたい。

 

毎年特例公債法が作られ、赤字国債が発行される。しかし、憲法学の通説では赤字国債の発行は認められないとする。つまり毎年違憲立法の疑いのある立法がなされている。しかし私は財政収支黒字化の方がよっぽど憲法違反、人権侵害の疑いが強いと思う。

 

例えば今年は財政収支1円黒字化達成したとする。この取りすぎた1円の来し方、その処遇はどうなるのだろう。政府は使わない税金を徴収した。これは個人の財産的自由の明白な侵害である。リベラルを目的とする現行憲法下では認められないだろう。

政府は死なない。良い具合に借金し続け公共投資をし続けることができる。もう「国民一人当たりの借金が~」などというのは止めてほしい。政府が赤字国債を発行するとき、その債権者は国民である。

お菓子の生態系

映画を見るときにスナック菓子をよく食べる。これまではカルビーとかコイケヤとか一般的な商品をスーパーに買いに行っていた。でもある日セブンイレブンにタバコを買いに行って、ここからスーパーに行くのも面倒くさいなと思ってセブンイレブンでお菓子を買うことにした。そうするとスーパーに売ってるお菓子ってあんまりなくて、セブンイレブンプライベートブランドの商品ばかりだった。これまでプライベートブランドに懐疑的だったが、無い物はしかたないのでとりあえずポップコーンと、これまたプライベートブランドのかぼすの炭酸ジュースを買って帰った。

そして映画を見ながら食べてみるとこれがめちゃくちゃうまい。映画どころじゃない。セブンイレブンのポップコーンは、悔しいがマイクポップコーンを超えていることを認めざるを得ない。かぼすジュースのうまさは快挙だ。かぼす生産地の道の駅なんかで売ってる大味なジュースを想像してはいけない。もっと緻密に計算された味なのだ。

その後、セブンイレブンの他のお菓子も色々と試した。そのどれもが、これまでのスタンダード商品を超えていると感じた。お菓子の生態系が一変するのではないかと危惧、期待しつつ、別のコンビニのプライベートブランドにも手を出すつもりだ。

よくわからない話

最近よく貸本屋にマンガを借りに行く。昨日、あるマンガ全11巻のうち4巻まで借りて、今日は5巻から11巻借りに行った。ちなみに1巻につき2泊3日で60円だ。

 
マンガなどの続きモノって、カゴに入れるとき私は特に巻数を数えたりしない。完結巻まで借りるとなると、なおさら数えない。言われた通りに支払うだけだ。そして5巻から11巻ってすぐに何巻借りるのかって認識できない。多くの人がそうだと私は信じる。1巻60円だから今日は400円くらいかなと考えるでもなくフラフラとレジに立ってしまった。
 
店員が1冊ずつバーコードを読んでいき、「388円です」と言った。あれなんか安くないかと思い店員の顔を伺うと、自信に満ちた顔を見た。安くないのだ気のせいなのだと私は財布から500円を差し出す。しかしすかさず、いやこれはおかしい私は騙されないぞあなたがおつりの勘定をしている間に冊数を数えてやると思ってビニール袋に入れられたマンガをちらっと、しかし確実に数えてやはり7冊にみえる。やっぱり6冊分の会計しかしていないようだ。私に数えられた後とも知らず、店員はおつりの112円を寄越してきた。しかし私は何も言わずそれを受け取りレジを離れた。
 
その後、レジから離れた場所で、まずレシートを見て10巻の表示がないことを確認し、そしてマンガをビニール袋から出して、袋の中にはマンガが7冊であること、つまり10巻がちゃんと存在していることをも確認し、再びレジに並んだ。そこで10巻が漏れていることを告げ、すこしややこしい、時間のかかる手続きを経てようやく店を出た。時間の無駄をしたなあと思いながら帰路についた。
 
始めのレジで、私は7冊なのを確認したときに、どうしてそれをしてきしなかったのか。これは難しい問題だが、おそらく、私が「7冊だと思うんですが」と言って、店員さんと一緒に冊数を確認して本当に6冊だった時に「やっぱり6冊ですよ」って言われるのが恥ずかしかったのだと思う。私という人間の弱さがモロに出た。

ファーゴ

コーエン兄弟監督作。自動車のディーラーである男が、妻を誘拐してお金持ちの義父から身代金をせしめようと企む。しかし計画の途上に仲間が殺人を犯す。それでも計画は進行し、並行して警察による殺人事件の捜査も始まる。

非常におもしろかった。90分少しと短めの映画で、独特のリズムがある。事件を追う妊婦の警察署長が味がある。この署長は頭が切れ、着々とディーラーに近づいていく。妊婦なのでお腹を気遣う動作があり、これによりのんびりとした感じが出ていて、劇中に悲惨な事件が連発するがあまり切迫した雰囲気は作られず、安心してみていられる。物語の展開も納得のいくもので、犯行の当初の予定がラストあたりで自然に反転するのは見事だった。