ルワンダの涙

本作は1994年に起こったルワンダ虐殺における公立技術学校の虐殺に焦点を当てた映画だ。原題は「Shooting Dogs」。

物語は青年海外協力隊で教師として派遣された白人青年、学校の白人神父、そして黒人少女の三人を軸に進んでいく。まず冒頭でこの事件の(簡単すぎる)あらましが文章で述べられる。30年来フツ族少数民族ツチ族を支配してきたが、西欧の圧力により、ツチ族にも政権分担をさせることとなった、とのことだ。そしてそこから物語が始まる。

この映画のテーマとして、そもそもこの歴史的事件を描くということ、そして欧米の欺瞞を暴くことの二つが挙げられるだろう。その試みが成功しているかどうかを考えたい。

まずは歴史的事件を凄惨に描けているかどうかだが、贔屓目に見ても不発と言わざるを得ない。理由は説明が少なすぎることが第一、緊迫感のなさというのが第二にだ。第一については、先ほど書いた冒頭の文章が象徴的だ。これで虐殺に到る経緯を理解するのはあまりにも困難だ。30年以上前はどうだったのか、ツチ族フツ族は何故対立しているのか、ツチ族フツ族とはそもそも何なのかなど重要な部分が抜け落ちてしまっている。これでは歴史的事件を扱った、としてこの映画を見ることは難しい。第二については、100日で80万人虐殺されたと言われているのにしては、虐殺シーンが牧歌的で、かつスケールの小さいと感じた。誰も怯えていないように感じた。

次に欧米の欺瞞を暴くことだが、これは成功したと言って良いだろう。映画最後にアメリカ政府の報道官がこの事件について弁明する、おそらく実際の映像があるのだが、これが姑息だ。要約するとこうなる。

アメリカ政府はこの事案を集団虐殺とは言わない。集団虐殺的行為があったとは言える。正確に、慎重に、矛盾の無い言葉としてこの言葉に到った。

つまり集団虐殺ではないから放っておいたということだ。そして記者から「何人以上なら集団虐殺となるのか」という問いに対して、

その質問に答える立場にない。ルワンダで、あなたが言うような殺害があったとも限らない

とのことだ。正確に慎重に矛盾の無い言葉を選んで行為という意味不明な言葉は基準はあるが、肝心の何が集団虐殺かは言えないそうだ。しかし集団虐殺が何かがわからなければ集団虐殺的行為も正確ではないと思うのだが。欺瞞だろう。

結局、国際平和を理念とする国連は、資源がなかったり、助ける相手が白人でなければほとんど無視のような態度をとる。

物語途中で、白人ジャーナリストが「ボスニアで白人が殺されるのを見て私は泣いた。ここでも誰かが殺されるのを見てもなんとも感じない。アフリカ人だからだ」というショッキングな発言がある。これは国際社会の代弁者としての発言ということとなろう。

原題Shooting Dogsはあるシーンから名付けられた。これは本編で確認していだくのがよかろう。このシーンも欺瞞からくるものだ。

本作はルワンダ虐殺の概要を知りたいという人には、説明が少なすぎて不向きだろう。しかし集団虐殺を知るきっかけには最適だ。また国連の活動に疑問を持っている人にもお勧めしたい。