打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

93年にテレビドラマとして放送されたのち95年に公開された、岩井俊二監督の作品。今年見た映画の中でぶっちぎりでワースト。おそらく私の中で他の追随を許さずこのままビリを独走し何年も続けるのではないか。
 
岩井俊二監督作はこれとスワロウテイルしか見ていない。スワロウテイルは非常に面白く見た。
 
正直に白状するが、この打ち上げ花火については、冒頭から何の吸引力も感じられなくてスマホをいじりながらの鑑賞であるので、あらすじがきちんと追えていないかもしれない。だからたぶんでしかあらすじを紹介できないので、私を信用してはいけない。あと登場人物の名前が全く覚えられなかったので奥菜恵、A君、B君とする。ほかにもいろいろくそがきが出て来るが、ただの枯れ木も山の賑わい程度の役割しかないのでこちらも無視してやろうじゃないか。
 
恒例の打ち上げ花火が上がる日、奥菜たちの学校は夏休みの登校日だった。奥菜は両親が離婚するので2学期からは別の学校に転校することを担任の先生にだけ説明する。AとBはプール掃除の係りだったがとりあえず掃除は泳いでからにしようということで50mクロールで競争しようとなった。そこに奥菜が現れて審判をやることになったが、奥菜は密かに勝った方と駆け落ちをする賭けをする。勝負はBが勝ち、奥菜はBに家で待っているよう伝える。このときクソガキたちは教室で花火は横から見たら丸いのか平べったいのかで激論を交わしていた。これにAとBも加わり、みんなで横から見に行くことになる。Bは奥菜を裏切りこちらの団体に参加することにした。したがって奥菜の家出も失敗になった。Aは自分なら裏切らなかったと奥菜に伝え、ここからAが勝負に勝っていたらの話が展開される。なんかこんな感じ。二回見る気はしないのでこれで勘弁してください。
 
冒頭から吸引力がないことは前述した。普通の小学生が何の工夫もなく垂れ流されているだけだからそれはそうなる。映像もはっきり汚いし、画もかっちりしてない。ほんと出来の悪いドラマそのもの。コマわりももうちょっとスマートにできないものか。そして子役の演技がうっとうしい。普通の小学生は仲間内であんなにけんか腰に会話なんてしない。もしかしたらこの子たちは子役の仕事で忙しくて子供同士のコミュニケーションの仕方がわからないのではないか、なんかおじさん君たちが哀れに見えてきたぞってくらい下手。なんで私が子役の生活環境に思いを馳せて、演技が下手な理由を忖度してあげなければならないのか。演出もあまりに平板。花火を横から見るために山登りなどで時間がかかり、目的地に着いた時には花火は終わっていたという場面で、小学生たちがそろいもそろって首がガクっとなるシーンではダサすぎて赤面した。ほかにやりようはなかったのだろうか。そしてラストは撮り方が最低だ。なんやかんやあって最後に一発打ち上げ花火があげられそこで映画は終了するのだが、花火ってこんなに汚く撮れるのかともはや感嘆の域に達した。ぜひ見ていただきたい。これをみれば向こう三年は花火を見たいという衝動は消えうせること請け合いだ。
 
ネットの評判は総じて良いので、私に合わないだけで大体の人は良いとかんじるのかもしれない。良いという人は映像美を挙げている人が多かった。でもこれ以上にきれいな映画なんていくらでもあるだろう。私はむしろこの映画より汚い映画があればそちらを聞きたいくらいだ。ラストの少し前、奥菜恵とA君が夜のプールに入るシーンがある。これが美しいらしい。でもそれは違うのではないか。単に水にぬれた13歳の奥菜恵が美しいというだけで、映像の美醜とは別の話だろう。
 
岩井俊二自身はこの作品のことをどう思っているのだろう。この作品には続編もあるらしい。ということは気に入っているということなのだろうか。あと何作か岩井俊二の作品を見ようと思う。もう一度言うがスワロウテイルは良かった。この落差が信じられないのだ。