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会見

  一昨日の小保方さんの記者会見は、新たな有力な証拠の提示もしくはとんでもない論理破綻を期待していた私としては、無難に終わってやや肩透かしな印象だ。しかしネットアンケートでは会見に納得したという意見が五割を超えているそうなので、小保方さんとしては大成功だ。私の個人的な感想は、小保方さんサイドの主張は苦しい、といったところか。

  会見の内容は科学の話ではなく雇用の話だ。だから弁護士がついている。つまり、理研規定では「悪意」ある捏造あるいは改竄があれば懲戒処分となる。悪意がなければ不正に当たらない。そして調査委員会は小保方さんの悪意を認定した。このままだと今後は懲戒処分が予想される。雇用契約が打ち切られる可能性が高い。しかし小保方さんとしてはまだ理研で研究活動を続けたい。そこで弁護士を雇ってのガチンコファイトとあいなった。

ここで、理研の言う「悪意」とは「知っていながらする行為」のことだ。これは法律用語の「悪意」と同様の意味だ。本人がやってはいけないと知っていたかどうかという認識は問題とならない。当該行為をしたことそれ自体が問題となる。

  対して小保方さんサイドが解釈する「悪意」は、一般用語の悪意に近いと感じた。意味としては「誰かを騙そうという意図をもってした行為」といったあたりか。

  この解釈の違いがどういう風に主張の違いを生むか。例えば不正だと認定された、画像切り貼りが行われた電気泳動写真において、理研側からは「画像の切り貼りはやってはいけないことだ。画像の切り貼りは、切り貼りしようと思ってしなければできない。知っていながらした行為であるから不正である」という主張がなされる。一方小保方さんからは、「画像の切り貼りがしてはいけないことだとは知らなかった。知らなかったから不正ではない。それに見栄えを良くしただけで、真正な画像と内容は同じなので騙したわけではない」となる。

  小保方さんの主張はかなり無理筋だろう。証拠に手を加えて見栄えを良くすることと騙すことは同一線上にあるように思う。これでは読み手は疑心暗鬼にならざるを得ず、負担が増してしまう。理研の主張ならばそもそも手を加えることは許されず、性善説に則って読むことができる。手を加える行為をした時点で処分の対象となるから(本人がやってはいけないと認識していたかどうかは問題とならない)、普通そんなことしないと考えられるからだ。

  したがって私は理研に分があると考えるのだが、「悪意」の解釈の議論はまだまだ続きそうだ。