毎年運動会の時期に組体操の危険性が話題になる。先月八尾市の中学校で事故になった十段ピラミッドの動画をさっき見たけど色々と驚いた。

 
十段作るために157人の生徒が参加する。もちろんこれでひとつのピラミッドとなる。そしてこれが最後頂点の子が立ち上がって少ししてから崩れる。中央部が落下という感じ。周りに先生が囲んでいて安全には配慮したと言っているが、今回のように中心部が落下するように崩れた場合、周りにいてもなんの役にもたたない。現に二人の生徒が骨折をしてしまっている。一番驚くのは保護者からがんばれの声がかかっていることだ。なぜやめさせないのか。この学校では去年も一昨年も負傷(骨折)者を出していた。組体操をする理由は、感動と一体感を子供に体験させることらしい。動画を見る限り保護者も感動しているようだ。しかし感動だとか一体感だとかは組体操ではなくクラブ活動で味わえば良い。何年も負傷者を出しながら続ける学校の方針は私には犯罪的ですらあると感じられる。子供を危険に晒して感動する保護者は悪趣味もしくは虐待ではないだろうか。
早急に三段か四段以上は作ることを禁止する通達を文科省は出すべきだ。

今日は人生で初めてラグビーの試合を鑑賞した。昼頃にネットのニュースで日本代表が大金星を挙げたという記事を見て、再放送とかあるのかなと新聞のテレビ欄を確認するともうすぐに放送がされるみたいなのでちょっと見てみるか、くらいの軽い感じだったがめちゃくちゃ面白かった。始まるまでは、ルールもわからないし、今日は掃除もしたいから途中で離脱するつもりだったが結局全部見てしまった。ネットのニュースで結果を知っているにもかかわらずである。

 

試合内容がすばらしかった。抜きつ抜かれつのシーソーゲームで、どちらも点を取る雰囲気がある。ちょっと南アフリカに先行されている状況でも、そこで安定感抜群の五郎丸が独特の動作からのキックで追いつく。そして最後、もう時間がない場面で相手のファールを得て、ここでキックなら同点、トライを目指すならば成功すれば勝利、失敗すれば敗北の場面でトライを目指し、実際に決めるのだからこれ以上ない大興奮の試合展開だった。今まで見たスポーツの試合の中でもかなり上位に入りそうな名試合だった。

 

ルールがわからなくて心配だったが、テレビの画面横で、ファールの説明とかどのプレイで何点取れるのかとかを流してくれたの問題なかった。これはあまり日本ではメジャーではないスポーツを放送するときに必ずしてほしいくらい成功していた。

 

私がちょっと気になったのは、なぜスクラムを組むのかということだ。このあたりは当たり前すぎるのだろう、説明してくれなかったが、あの体勢って不思議じゃないだろうか。アメフトでもあの形をするのかもしれないが、スクラムが出現するスポーツは数あるスポーツの中で二つだけだ。私はこれは不思議だと思う。もちろんルールからして一番合理的なんだろうけど、その関係するルールとそこからスクラムが一番良いという論理が知りたい。

 

 

 

 

ジュラシックワールド

昨日ジュラシックワールドを見てきた。映画館に行くのが1年半ぶりで、3Dで見るのはアバター以来約5年ぶりだ。字幕なんて読んでる場合じゃないのではないか、私は何も考えず思考を停止して見たいと思い吹替えにした。この選択は正解だった。吹き替えの人はみんな上手でコミカルな場面では笑えたし、何より主要登場人物の一人を「桐嶋部活やめるってよ」以来、私が大注目している松岡 茉優が当てていたからだ。ちなみにこのシリーズは小学生の時にロストワールドを映画館で見たことがある。

結論から言うと非常に楽しかった。卵の殻が少し砕けて中から恐竜の目がギョロッとする冒頭からなんだこの恐竜の実在感は、と感心しきりだった。恐竜の造形はものすごくよくできている。今回は遺伝子工学により色んな恐竜の怖いところをいいとこ取りしたインドミナスっていう恐竜が一番の敵というか最強設定という感じ。これが歯がいっぱいあって頭もよくてややこしいって話。ただティラノサウルスとの造形の違いが私にはよくわからなかった。白っぽいらしいのだが、私はティラノサウルス様の恐竜の色は黒っぽいという思い込みが強いのか黒にしか見えなかった。これがラストで私に混乱を招いたのだがそれは後述する。主要人物は兄弟とその叔母とその恋人?の四人で、兄弟が恐竜のテーマパークであるジュラシックワールドの扉をバーンと開けたところでテーマ曲のサビがドーンでパークの全景のショットでもはや感無量だ。主要な四人が恐竜に襲われるシーンは、とはいえ食べられないんでしょとやや緊張感に欠けるが、他の人物はばんばん食べられていくので他の人が襲われているときはハラハラする。悪役でもなんでも無い秘書の死に方が凄惨極まっていて驚いた。脚本はさておき絶対見るべき映画だと思う。恐竜が暴れる姿が迫力満点な時点で大満足だ。やはり3Dをおすすめする。
 
しかしとはいえこの脚本だがかなりずさんというかガサツな仕上がりになっている。両親の離婚の件が特になんの意味も無いとか、テーマパーク経営の話が長いとか、ズカズカ檻に入るのはやめなさいよほら食べられちゃったじゃないかとかの件は、まあ映像がいいから目をつぶろうという気になるが、ラストはほんとにいただけない。以下ネタバレといえばネタバレだが、何も知らずに行っても意味不明だと思うので詳述する。
 
みなさんも見る前からわかっていることだと思うが、もちろんラストは主要四人物がインドミナスと対峙する。そして当然のように絶体絶命の危機に陥る。これは規定によりこうなる。ジュラシックパークシリーズだから。しかし、この危機を脱する機転を利かせた会話が大問題なのだ。考えたくなくても理解に苦しみ考えてしまうシーンだ。
 
インドミナスに襲われ4人が大ピンチの時に、弟が天才的な洞察力を発揮し、「下が24本、上が50本だ」と意味不明な事を言う。そして叔母さんがそれどういう意味?と聞くとまた弟が「歯の数だよ、もっと強い恐竜がいるよ!」と言う。私の脳内でこの坊や何を言ってるんだろうインドミナスは歯が多いという説明はあったが具体的な歯の本数なんて聞いた覚えがないし私は何か重要な伏線を見逃したのだろうか。それとももしかして今襲っているこの恐竜はインドミナスじゃないのか、いやそんなはずは・・・などと思考をめぐらしていると、叔母さんが何かに気付いたようで急に走り出し9番の檻を開けた。そして出てきたのはティラノサウルス・・・なのかインドミナスなのか判断がつかない恐竜である。そしてどっちがどっちなのかわからないまま取っ組み合いを始め、私は、ああこれは困ったことになったと頭を抱えた。これが先ほど言った混乱である。後で調べると叔母さんがこのとき解放した恐竜はやはり単にティラノサウルスだったようだ。
 
この混乱の原因の一つは私の識別能力の低さであることは認める。しかしもうひとつは「もっと強い恐竜がいるよ!」の部分だ。私は「居るよ!」と解してしまったので、えっこいつインドミナスじゃないの?だってインドミナスが最強なんでしょ。これ以上強い恐竜が居るってことはこいつはインドミナスじゃなくてティラノサウルスなの?正直私は判別つかないからそう言われればそうなのか?となってしまったわけだ。そして解放された方はティラノサウルス。やはり襲ってきているのはインドミナスだったのだ。どうやらここは「要るよ!」と解釈しなければならないところで、インドミナスは歯の本数がパーク内を暴れているうちに折れて減っていて、この歯が減った状態ならばインドミナス相手でも、ティラノサウルスに分がないわけではないからティラノサウルスが必要だ、と言いたかったらしい。らしいのだがこんなのわからないでしょう。仮に「要るよ!」と解釈してもこんなに破たんした論理から突飛な結論は、私には導けそうもない。
 
というわけでこの部分を心得ておいて、このシーンのことは考えないこととする心構えさえあれば、非常に楽しい映画で断然おすすめだ。
 
 
 
 

飲料3

この間空腹状態で風呂に入って湯船から出たとたん、立ちくらみがした。初めての経験で驚いた。原因は不明だが熱中症かもしれないのでとりあえずグリーンダカラを飲んだ。治った。というよりそれ以上体に不具合は起きなかったと言う方が正確か。

 

次はソルティライチの話。これにはペットボトルにでかでかと熱中症防止と書かれたシールが張られている。飲んでみると異様に甘いし後味が残る。喉が渇いているが甘くてぐびぐび飲めない。なんだったらこいつのせいでのどが渇いているのではないかという気さえしてくる。というわけで熱中症予防にはあまり向かない印象だ。やはり熱中症対策にはグリーンダカラ一択か。この牙城を崩すのは困難に思う。私はグリーンダカラがスポーツ飲料の完成形だと思っている。

今日、自販機でBossのカフェオレを買ったら「当たり!」のシールが貼ってあった。なんだこれと思って自販機の上のほうに掲げられている説明を見ると、当たりのシールが貼ってある商品を手に入れると、俳優田辺誠一デザインのLineスタンプが貰えるそうだ。これは助かる。

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

93年にテレビドラマとして放送されたのち95年に公開された、岩井俊二監督の作品。今年見た映画の中でぶっちぎりでワースト。おそらく私の中で他の追随を許さずこのままビリを独走し何年も続けるのではないか。
 
岩井俊二監督作はこれとスワロウテイルしか見ていない。スワロウテイルは非常に面白く見た。
 
正直に白状するが、この打ち上げ花火については、冒頭から何の吸引力も感じられなくてスマホをいじりながらの鑑賞であるので、あらすじがきちんと追えていないかもしれない。だからたぶんでしかあらすじを紹介できないので、私を信用してはいけない。あと登場人物の名前が全く覚えられなかったので奥菜恵、A君、B君とする。ほかにもいろいろくそがきが出て来るが、ただの枯れ木も山の賑わい程度の役割しかないのでこちらも無視してやろうじゃないか。
 
恒例の打ち上げ花火が上がる日、奥菜たちの学校は夏休みの登校日だった。奥菜は両親が離婚するので2学期からは別の学校に転校することを担任の先生にだけ説明する。AとBはプール掃除の係りだったがとりあえず掃除は泳いでからにしようということで50mクロールで競争しようとなった。そこに奥菜が現れて審判をやることになったが、奥菜は密かに勝った方と駆け落ちをする賭けをする。勝負はBが勝ち、奥菜はBに家で待っているよう伝える。このときクソガキたちは教室で花火は横から見たら丸いのか平べったいのかで激論を交わしていた。これにAとBも加わり、みんなで横から見に行くことになる。Bは奥菜を裏切りこちらの団体に参加することにした。したがって奥菜の家出も失敗になった。Aは自分なら裏切らなかったと奥菜に伝え、ここからAが勝負に勝っていたらの話が展開される。なんかこんな感じ。二回見る気はしないのでこれで勘弁してください。
 
冒頭から吸引力がないことは前述した。普通の小学生が何の工夫もなく垂れ流されているだけだからそれはそうなる。映像もはっきり汚いし、画もかっちりしてない。ほんと出来の悪いドラマそのもの。コマわりももうちょっとスマートにできないものか。そして子役の演技がうっとうしい。普通の小学生は仲間内であんなにけんか腰に会話なんてしない。もしかしたらこの子たちは子役の仕事で忙しくて子供同士のコミュニケーションの仕方がわからないのではないか、なんかおじさん君たちが哀れに見えてきたぞってくらい下手。なんで私が子役の生活環境に思いを馳せて、演技が下手な理由を忖度してあげなければならないのか。演出もあまりに平板。花火を横から見るために山登りなどで時間がかかり、目的地に着いた時には花火は終わっていたという場面で、小学生たちがそろいもそろって首がガクっとなるシーンではダサすぎて赤面した。ほかにやりようはなかったのだろうか。そしてラストは撮り方が最低だ。なんやかんやあって最後に一発打ち上げ花火があげられそこで映画は終了するのだが、花火ってこんなに汚く撮れるのかともはや感嘆の域に達した。ぜひ見ていただきたい。これをみれば向こう三年は花火を見たいという衝動は消えうせること請け合いだ。
 
ネットの評判は総じて良いので、私に合わないだけで大体の人は良いとかんじるのかもしれない。良いという人は映像美を挙げている人が多かった。でもこれ以上にきれいな映画なんていくらでもあるだろう。私はむしろこの映画より汚い映画があればそちらを聞きたいくらいだ。ラストの少し前、奥菜恵とA君が夜のプールに入るシーンがある。これが美しいらしい。でもそれは違うのではないか。単に水にぬれた13歳の奥菜恵が美しいというだけで、映像の美醜とは別の話だろう。
 
岩井俊二自身はこの作品のことをどう思っているのだろう。この作品には続編もあるらしい。ということは気に入っているということなのだろうか。あと何作か岩井俊二の作品を見ようと思う。もう一度言うがスワロウテイルは良かった。この落差が信じられないのだ。
 
 
 
 
 

家を買う

家を買うことになった。私が今住んでいるもとは祖父の家を建て直すか、より都心に近い場所にあるマンションを買うかの二択であるとなったのが二ヶ月前くらい。ちなみに私が幼少期から大学生になるまで住んでいた京都の家は売りに出すこととなる。

 
二ヶ月前くらいの時点で母はマンション派で、父は建て直し派で、私はまだ迷ってはいるが、やや建て直し派かなくらいのスタンス。
 
二週間くらい前に母が目星をつけていたマンションに、母と父が見学に行ったのだが、4ldkですらそうとう狭くて母はがっかりして帰ってきた。わたしが狭いはずはないだろうと言うと、何畳とかいうときの畳の大きさが昔と今では違い、6畳の部屋と書かれていても4.5畳くらいしかなかったらしい。都心に近く立地は良かったが前がパチンコ屋だということもあり、そのマンションは却下となった。しかしそこの営業担当の方が京都の家と、今わたしの住んでいる家の査定を無料でしてくれるそうで、もう一度そのマンションに行った。そして査定を見せてもらったのだが安すぎて頭が痛くなった。京都の家は建物は64万円で、土地は1200万円ということだった。高くgても1400万円でしか売れないそう。わたしの住んでいる方は土地が広いのでそこそこの価格だったが、今は狭目の土地に立てる人が多いので広いのが裏目に出て坪単価が安くなるどいうことらしかった。
 
マンション見学にいそしむ母を尻目に私は建て直しの方向でいろいろ調べていたが、調べるほどに、私達に家を作る能力があるのか疑問に思えてきた。
 
家を建てるときに、大手ハウスメーカーに頼むか、工務店にするかが大きな問題となる。ハウスメーカーはプレハブというか、商品としてあるものを作るから間取りに柔軟性がどのくらい疑問がある。そして高い。工務店は間取りの自由度はあり、そして安い。しかし信頼性がいかほどなのか疑問がある。良い工務店など1回きりの家づくりで出会えるのだろうか。
 
そんなわけで私はマンション派になったのだが、入れ替わりで母は建て直し派となった。おそらく建て直しの向きとなるだろう。今後の展開を追って報告するかは不明だ。